1854年5月29日(2004年5月29日)
タイトル未定、2004年5月29日付けの記事(shi_moさん)への返信に対して、上記のコメントをいただきました。以下、コメントへの返信。
「こういう人に司法試験に受かって欲しくないなぁ」と思うのはもちろん個人の自由です。
私の行為が礼儀を失していることに異論はありません
と書きましたし、前置きととっておきます。
しかし私が問題にしているのはそれを越えた行為についてなのです。個人的主観をブログにわざわざアップすることについてです。全部読みましたが最後までそのあたりの理由がわかりませんでした。
以下のあたり(私の記述の引用)で、このへんの疑問には応えたつもりだったんですが。
それが礼儀にかなったものであれ無礼なものであれ、論理的なものであろうと単なる罵詈雑言であろうと、公開者の意図を汲んだものであろうとなかろうと、常に批判を受ける覚悟がなければ個人の価値観を全世界に公開してはいけないと私は思っています。もちろん、それらの罵詈雑言なり論理的批判を受けて内容を改変する必要があるとは思っていませんが。
私は、対象としている日記・回答者に何らかの変更を求めているわけではなく、私の評価を表明しているだけのつもりです。そして、私の評価基準に合うように変わってくれと思っているわけでもありません。既にお気づきだと思いますが、文章力のなさを実感しているので、無礼を承知で理由抜きに結論だけを書いています。
このように考えているので、個人的主観をブログにわざわざアップ
しています。
批判行為にはそれ相応の理由が必要だと思います。(理由さえあれば批判はかまわないと思います、ランキングも苦言もかまわないと思います)。
相応
の理由ですが、相手に何らかの変化を希望する場合であればともかく、単に感想を表明する場合には必ずしも必要でないと思います。
もちろん、理由とともに褒める、理由なしに褒める、理由とともにけなす、理由なしにけなす、それぞれ受け取る側の気持ちも、それを見聞きする側の印象や信用するか否かも異なるとは思いますが。
ついでに、以上は、本人が積極的に行なったことがらについてです。生まれながらの性質や本人に責のないことがらについては、批判的なことは書かないようにしていますし、書くとしても理由は明示するつもりです。
…全世界に向けて「司法試験に受かりませんように」と書いて公開した(公開した行為自体の)判断理由を回答していただきたかった。「受からないで欲しい」と思ってる理由を聞いているのではなく、「受からないで欲しい」と思う気持ちを公開した行為について私はひっかかっているのです。
ここは、繰り返しなんで、返信不要ですよね?
ここだけは理解していただかないと建設的な終わり方にならないので。
建設的という肯定的な意味のある表現は、自らの意見や提案に対して使うと傲慢に聞こえることもあります。自分は建設的な提案のつもりでも、周りからは自分のものの見方で得た自分の価値観を一方的に押し付けて
いるように見えることもある、ということがshi_moさんにもわかるといいね。
ここが分からなくても、人は付いてくると思いますが、老婆心から…
注:このような傲慢な言い方は嫌いなんですが(自分が渦中にいる場合はなおさら)、shi_moさんの過去の発言をもじったもので、まあ冗談と思って下さい。
他の方に対する回答も読みましたが大半が回答になってないと思います。
そうですね、一段落したようだなと思っていたんですが、「相手にするまでもなし」「放置」と思われた方が多いんだと思います。真摯にお応えしてるつもりなんですけどね。
言葉の綾だとは思いますけど「結局、私はどうすればよかったんでしょうね」とお書きになってますね。明確な理由が己の中にあるならそもそも他人に問う必要もないのでは?
言葉のアヤということで(笑)
私が貴方に私のすべきことについて伺っているようには読めないと思います。分かっているからこそ言葉の綾だとは思いますけど
と書かれたんだと思いますけど、分かっているなら書かない方がいいと思います。だって、応えようがありませんから。
つまり、他人に本気で問うているつもりはありません。
とだけ書くと揚げ足とられそうなので、一応補足。他人に問うつもりはありませんが、他人からの助言には真摯に伺うつもりですよ。
とだけ書くと揚げ足とられそうなので、さらに補足。伺った上で、それに従うかどうかはまた別の問題ですが。他人に言われたことに従うのではなく、他人に言われたことをふまえて、己の中にある明確な理由が変更されれば、それに従います。実際、生まれてこの方終始一貫した方針を貫いて生きてきたわけではありませんし。
直接的に言うとですね「結局、私にどうしてほしくて、貴方のダイアリーで言及されたのですか?」ということですね。私のページの方針について、貴方にお伺いをたてたわけではありませんです。
「こういう人に司法試験に受かって欲しくないなぁ」と思うのはもちろん個人の自由です。しかし私が問題にしているのはそれを越えた行為についてなのです。個人的主観をブログにわざわざアップすることについてです。全部読みましたが最後までそのあたりの理由がわかりませんでした。
批判行為にはそれ相応の理由が必要だと思います。(理由さえあれば批判はかまわないと思います、ランキングも苦言もかまわないと思います)。…全世界に向けて「司法試験に受かりませんように」と書いて公開した(公開した行為自体の)判断理由を回答していただきたかった。「受からないで欲しい」と思ってる理由を聞いているのではなく、「受からないで欲しい」と思う気持ちを公開した行為について私はひっかかっているのです。
ここだけは理解していただかないと建設的な終わり方にならないので。他の方に対する回答も読みましたが大半が回答になってないと思います。
言葉の綾だとは思いますけど「結局、私はどうすればよかったんでしょうね」とお書きになってますね。明確な理由が己の中にあるならそもそも他人に問う必要もないのでは?