1月12日=2004年6月1日

# kiichigo 『したつもりはないと言いますが、確実にしています。』

とのことですが…
個別に対応するつもりはないと明言しているとは言え、併せて表現には気をつけることも明言しているわけで、できればどのような表現、どの部分がkiichigoさんの人格を批判しているととられたのかを教えていただきたく思います。
日記について感想なり私見なりを書くことが、著者の人格について書いたことと全く同じであるというご主旨でしたら分かるのですがだとすればこれまでも書いているように日記に関する私の私見を記すことについては個別にご要望に対応するつもりはないとしか申し上げられません
何度もご批判をいただいている「リソースの無駄」などの表現などについては過去に書いてきたつもりでおりますので、特にkiichigoさんが以前(1月8日)の投稿で指摘されている表現についてのみ、先回りして私見を述べておきます。

私はただ私の行為(日記の公開)に対して、「嫌い」「質が低い」「無駄だ」「下」「断りと文体が矛盾してる」「ダメ人間」「携帯のメモリも少ないのだろう」だのと突然非難されたことへの、感情的な反発でしかありません。

「嫌い」という表現は、日記を読んでの感想のつもりで書いております。ある作家の小説を「つまらない」「嫌い」と思うこと、それを表明することが、即ちその作家のことを「嫌い」「つまらない人間」だと思うことと等しいとは思っておりません。また、少なくても1月6日の項については、「嫌い」はブログ、又ははてなダイアリー全体にかかっているものであり、特にkiichigoさん個人に対して発したものでないことは読み取っていただけると思っております。もちろん、kiichigoさんを含め、挙げている方全員、もしくははてなダイアリーを含むブログを作成している方個々人の全てにかかっているととられているのであれば、「そのつもりはない」としかお答えできません。
「質が低い」についても同様です。「嫌い」についての説明から、「ブログまたははてなダイアリー」を単に「はてなダイアリー」と読み替えていただければ幸いです。
「無駄だ」というのは、「下の下」の「リソースの無駄」のことだと思いますが、kiichigoさんに向けた表現ではありません。
「下」は、まさにkiichigoさんを含む何人かの日記にかかった表現ですが、日記を私なりに「評価」した表現のつもりです。人格を「評価」や「批判」したつもりはありません。
「断りと文体が矛盾してる」については、私なりに読み取った「事実」のつもりです。もちろん、「人に見せるための」文体というものがどういうものであるか、または「人に見せるためのものではない」文体がどのようなものであるかは私の判断であり、日記への「批判」ととられても仕方ありませんが、少なくても日記の内容(質)について批判したつもりはありません。
「ダメ人間」と「携帯のメモリも少ないのだろう」について。まず、いずれも、「嫌い」「質が低い」と同様、個別の日記について書いたものではありません。
また、いくらでも反論は可能だと思いますが、文章・HTMLの構成上は「下の下」について書いたものです。はてなダイアリーではh3要素、及びhr要素で文章を区分けしているようです。ある小見出し(h3要素)で始まった文章は、次の小見出しまたは罫線(hr要素)の直前で終わります。私の文書では、同様にあるh4要素で始まった文章を次のh4要素またはhr要素の直前で区切っております。ただし、この部分のHTML上の構成はCSSを用いて分かりやすく視覚化しているわけではなく、誤解されたとすれば私の責任だと思っています。
さらに「ダメ人間」については、日記内、主にタイトルなどで自分のことを「ダメ人間」と称していること、更に言えばやや誇らしげに「ダメ人間」と称していることを指して書いております。少なくても、私が当時拝見したかぎりでは、kiichigoさんの日記内にこのような表記はなかったと思っております。
また「携帯」については、「少ないだろう」とは書いていません。「ケータイのメモリ登録件数」(ちなみに実生活上の友人が少ないことの喩えのつもりですが)が少ない人の日記は(私は)つまらないという趣旨で書きましたが、(私が)つまらないと思う日記の著者は「メモリが少ない」と書いたつもりはありませんし、そうは読み取れないと思っております。
以上、他の部分で書いていることと重複しているものもありますが、私の記述を不快に覚えている方に、全てに目を通せというのも失礼かと思いますので、また自身の文章力のなさも痛感しておりますので、改めて書かせていただきました。
お返事になってないととられるようでしたら、大変お手数ですが、どのような記述がkiichigoさんの人格を批判しているととられたのかご教授いただければ幸いです。

# kiichigo 『一まとめに書けばそう言っているも同然です。日記はその人のパーソナリティーそのものです。日記を批判しながらその人の人格は批判しないなどということはありえません。
日記内の具体的な言論に対する反論ではなく、その日記全体の存在自体について批判するのは人格の否定に他なりません。』

えっと、前述

日記について感想なり私見なりを書くことが、著者の人格について書いたことと全く同じであるというご主旨でしたら分かるのですが

とも書きましたとおり、そのようにお考えになっている可能性には気付いていましたし、理解いたしました。ただし、同時に書きましたように、

だとすればこれまでも書いているように日記に関する私の私見を記すことについては個別にご要望に対応するつもりはないとしか申し上げられません

以上のことは申し上げられません。
ただし、日記はその人のパーソナリティーという点に関しましては、「日記」を「ブログ」と読み替えさせていただきました。私の記述内でも「日記」「ブログ」「ダイアリー」と時々で用語を変えておりますが、「ブログ」特に「はてなダイアリー」という意味で使っております。他人に読まれることを前提としない所謂「日記」と、他人に読まれることを前提としている(パブリックモードの)「はてなダイアリー=ブログ」は別物だと思っているためです。
その上で、私がこのページを書いている理由や、それへの批判に対するお返事はこれまでに書いてきたつもりです。
最後に、どうとられる方がいらっしゃろうと、「ダイアリー」に関する私の評価が、ダイアリーの著者の人格・人間性に関する評価を意図しているものではないことは申し添えておきます。一緒に仕事はしたくないけれど一緒に遊びたい方、仲よくなりたいとは思わないけれど著書を読みたいと思う方、友達にはなりたくないけれど恋人にしたい人、そしてその逆、ある側面での人に対する評価がその人の存在への評価だとは思っておりません。